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福岡家庭裁判所 昭和31年(家イ)414号 審判 1957年4月25日

申立人 山川春子(仮名)

相手方 山川吾郎(仮名)

主文

申立人と相手方は昭和三二年四月二五日離婚する。

長男弘二長女京子二男周一二女春江の親権者を相手方父と定める。

理由

申立人は、昭和二〇年七月○○日相手万と婚姻し、其間に昭和二一年七月○○日長男弘二、昭和二四年六月○日長女京子を挙げたが、五年前から相手方が、情婦の許に走り、情婦との間に一男一女を儲け、その子を申立人との間の二男二女として戸籍上の届出をなし、申立人や長男長女の生活を顧みない為離婚し度い旨申立て、調停委員会に於て相手方も亦この事実を認め離婚に同意するよう考慮し度き旨を約した。

然るに調停成立予定の日に相手方が病気不出頭の為次回期日を指定した処該期日に申立人が既に離婚の調停は成立したも同様だから出頭せずとも差支ないと誤解して、母にその旨を云残して母の許を立出で、その行先が判明しないし、相手方は離婚を申出たので当裁判所は調停委員田中伝次郎、同進寿子の意見を聴いて、当事者双方の為衝平に考慮して離婚するを相当と認め、尚子供の親権者は現在子供を引取り養育中の相手方父に定めることにして主文のとおり審判する。

(家事審判官 徳田基)

参照

(申立の趣旨)

一、相手方と申立人は離婚する。

一、離婚に因る慰藉料として金拾万円を相手方は申立人に与える。

一、長男弘二、長女京子の親権者を申立人と定める。

一、弍男周一、二女春江の親権者を相手方と定める。

(事件の実情)

一、申立人は相手方の兄四郎と結婚して婚姻届未了の儘昭和二十年一月○日死亡したが当時申立人は姙娠中であつて昭和二十年七月○○日弘二を出生した。

二、相手方は当時独身で内地部隊○○衛生部隊に勤め終戦によつて帰郷したものであるが、相手方は申立人との結婚を要望するも相手方は身持ちが悪い(女関係)ため一応申立人は拒否したるも、四郎間に生れた子供の将来を考える時、相手方の要請に基くことが良策と考え相手方と結婚前記四郎間の子供を申立人と相手方間の長男(弘二)として出生届をなし其の後夫婦間には長女京子が出生した。

三、処が相手方は女関係は止むことなく五年前より現在同棲中水谷キミ子なる者と関係を生じ同人の許に於て殆んど生活をなし、相手方が失業すれば申立人方に帰つて徒食する位いで、茲約五年間は二人の子供は申立人に於て養育をなし相手方は家庭を顧みないのである。

その上相手方と情婦キミ子間には昭和二十八年二月○日男子が出生した処相手方は此の際キミ子と手を切るから生れた男の子を申立人の子として入籍する様語るにつき申立人は之れを信じ申立人と相手方間の弍男として出生届をなしたるも、キミ子との関係は断つことなく続けられ、昨年十月○○○日には女子が又も出生申立人の承諾もない儘申立人と相手方間の二女として出生届をなしている。

処が申立人等は相手方の母ハルの所有名義である、現在相手方が居住している家屋に居住していた処情婦親子三人を相手方は同伴申立人方に入居して来たのであります(本月五日)相手方は申立人の意の儘にせよと語るも、申立人は六畳一間に於て同居生活をなす事は子供の教育上面白くなく申立人として堪え難いから現在は同家を出ているが右の様な次第で相手方は現在失業し不貞行為は続け生活の能力がないから申立趣旨の通り御調停を求めたく本申立に及ぶ。

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